2013年6月24日月曜日

7.3.8月読(つきよみ)神社

7.3.8月読神社(芦辺町国分東触)
                   笠木        1本もの
        貫         3本継ぎ
        柱         1本もの
        額         月讀神社
        建立        大正4年(1915年)
  この神社に鎮信鳥居があることは、壱岐国・江戸期の石造鳥居(著者:野本政宏)を読む前から、ネットで調べて知っていましたが、この中にないのが不思議でした。実物を見て納得しました。江戸時代ではなく、大正になってから建てられた鳥居だったのです。大正時代では加工技術が進み長い材料が使えるようになったからでしょう、笠木と柱は1本物の石材を使っています。貫は3本継ぎに見えますが、切れ込みを入れただけで1本物かもしれません。
  この神社の由来は古いものらしいのですが、江戸時代に取り違えがあったということも言われています。江戸期にあった鎮信鳥居が痛んだので、大正の御大典を記念して建て替えられたのかもしれませんが、付近はきれいに整備されていて、古い物のかけらなどは何も見当たりませんでした。しかし、鳥居の形は壱岐の他の鎮信鳥居と全く同じように造られています。
 


2013年6月17日月曜日

7.3.7高御祖(たかみおや)神社

7.3.7高御祖神社(芦辺町諸吉東触)
        笠木        3本継ぎ
        貫         3本継ぎ
        柱         3本継ぎ
        額         高御祖神社
        建立        寛文13年(1673年)
   高御祖と書いてタカミオヤと読んでいます。ここも風格のある神社でした。
  少し高段にあり、穀倉地帯を眺めるような所にあり、全ての石材が3本継ぎで造られており、直接潮風を受けないせいか痛みもなく、堂々と鳥居は立っています。

 
  


2013年6月10日月曜日

7.3.6住吉神社(住吉)

7.3.6住吉神社(芦辺町住吉東触)
                   笠木        3本継ぎ
        貫         3本継ぎ
        柱         2本継ぎ
        額         住吉神社
        建立        貞享4年(1687年)
  こちらの住吉神社は壱岐島の内陸部、ほぼ中央に位置しています。境内は広く、大木が良く茂っていて由緒ある神社の風格があります。

  現在ではどちらも同じ芦辺町にある神社ですが、江戸時代には村は別だったのでしょう。距離もずいぶん離れているし、内陸部と港のそばではかなり違っていたでしょう。氏子も農民中心か、漁民が主だったという違いもあったのでしょう。
 
 


2013年6月3日月曜日

7.3.5住吉神社(芦辺浦)

7.3.5住吉神社(芦辺町芦辺浦)
        笠木        3本継ぎ
        貫         3本継ぎ
        柱         3本継ぎ
        額         住吉神社
        建立        寛文12年(1672年)
  住吉神社というのは全国いたるところにあり、ここ芦辺町のも2か所あります。こちらは海岸近くにあります。そのせいか、痛みがひどかったのでしょう。笠木の3本と貫の2本は、新しい石材で補修されていますが、昔の姿を忠実に守っています。柱は昔のものそのままと思われます。裏から見た方が補修の様子が良く分かります。