額 大岳神社
笠木 3本継ぎ
貫 3本継ぎ
柱 2本継ぎ
刻字 右柱 肥前國下松浦郡大檀那松浦肥前守源鎮信公武運長久之所
左柱 寛文十庚戌孟夏吉裕日・・・
この神社は、松浦の星鹿から江迎に向かう山道の頂上付近、大岳山登り口近くにあります。以前は路線バスも通っていましたが、今では松浦市のコミュニティーバスが細々と通っています。周りには民家も少なくさびしいところですが、江戸時代は幹線道路の一つだったという人もおられます。地元の人の話では、大岳山の頂上には、祠と説明文もあるそうですが、草に覆われている道を登るのは断念しました。
柱の文字を読む限り、前回の熊野神社の鳥居と全く同じ頃、鎮信公の寄進で建てられた事が分かります。しかし、形と大きさは全く同じに見えますが、同じ石工が2基まとめて作ったものではないようにも感じました。
道路そばには、写真の明神鳥居の立派なものがたっています。白い花崗岩で出来ていて、大きさもめったにお目にかかれないような高くて大きなものです。紀元2600年を記念して、昭和15年に建てたと記されています。
鳥居のそばには、亀岡神社社司、中山長杉撰と書かれた碑文は漢文体の長いものです。これだけの大工事をするには相当の費用がかかったものと思われますが、今のさびれようとはかけ離れています。都会に出て一旗あげた人か、炭坑なり金か、いずれにしても、村の氏子が金を出し合って建立したとは思われません。