2012年10月22日月曜日

3・1熊野神社

3.松浦市(1)熊野神社(松浦市星鹿町北久保免)
      額     大権現
      笠木    3本継ぎ
      貫     3本継ぎ
      柱     2本継ぎ
  この鳥居も文字がはっきり読めます。
右足は 大檀那松浦肥前守鎮信公武運長久所
左足は 寛文十年庚戌孟夏吉日・・・
  寛文十年は1670年ですから340年以上経過しています。この神社には神主さんは近くの羽黒神社(タシロランで有名な所)からお祭りの時は見えていますので、神社総代長の川口さんにお話を伺いました。現在の氏子は11人だけで総代長以外の人が2人組んで1年交代でお祭りを仕切っておられるそうですから、5年で一回りするとのことでした。鳥居の高さが低いので戦後になってからコンクリートでかさ上げをして、くぐり易くしたそうです。額が「大権現」のままですから、明治になってから熊野神社というようになっても書き直さずに江戸時代のままの姿をしています。
  この神社の旧本殿は小さいものですが、木造の元の姿をとどめており、松浦市指定の文化財になっています。
 総代長の川口さんの自宅でお話をうかがっていたら、お爺さんの写真を見せてもらいました。
  説明に  平戸藩士 川口弥三郎 廿歳
      明治四年大阪市南区にて 江戸参勤交代の帰途 
 とありました。明治4年は廃藩置県の年ですが、行くときは藩士として行っても、帰って来た時は藩がなくなっていたのかも知れませんね。それにしても、この時代に写真をとる余裕があったのですね。松浦資料博物館の学芸員さんの話では、この年の参勤交代は平戸ー大阪間は船を使ったとのことですから、大阪では時間的な余裕はあったと思いますが、最後の武士の姿がよく分かります。参勤交代の船は江戸湾に付けることは禁止されていたそうです。

 
  
 

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