笠木 3本継ぎ
貫 1本に見えますが柱の中で継いであるみたい
柱 1本継ぎなし
柱に建立年らしい文字が見えますが、判読できません。笠木のそり具合は立派な鎮信鳥居です。貫や柱に継ぎが見えないのは江戸時代後期か明治になってから建てられたのかもしれません。
神社の呼び名を額束にある「鎮守大明神」としました。
この神社は純農村地帯の荻田(おぎた)部落にありますが、その中でも東荻田にあります。他は、西荻田と南荻田にも神社はあります。小集落で神社を維持していくのは大変なのではないでしょうか。それにしても米作地帯は神社が多いですね。
お祭りになれば総社神社の神主さんが兼務されておられるそうですが、同じ肥前鳥居ですねと言ったらえっと驚かれました。宮司さんでも鳥居の型には無頓着のようです。
その後、天気が良く明るい時に行って写真を撮って帰り、パソコンで拡大して見たら柱の文字が読めました「寛延二年四月三日」 ですから1749年です。
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