笠木 3本継ぎ
貫 3本継ぎ
柱 3本継ぎ
鳥居建立は寛文十年(1670年)ということは、前回、前々回の大岳、熊野神社と全く同じ年に建てられています。松浦市内にはこの3基しか鎮信鳥居はありませんが、偶然の一致ということでしょうか。前の2基は鎮信公が寄進したものですが、今福はこの辺りを支配していた、宗家松浦の20代目に当たる、信貞公が寄進しています。柱に「松浦猪右衛門 源信貞武運長久」と刻まれてあるのがはっきり読めます。諱(いみな)は猪右衛門です。この人と鎮信公とは従弟になります。鎮信公の父親、隆信(宗陽)公の妹の子で相浦・松浦家の養子となっています。記録によると、今福村を1500石分知していますが、江戸は武州葛飾郡に住み幕府の旗本となっていて、一族は明治まで江戸在住をしています。
この鳥居を見ると、平戸藩の鎮信鳥居の中では佐賀藩のものに似ているように思われます。特に笠木の反りが少なく平べったい感じを受けます。全体に大きさもかなり大きく感じます。柱は他の鎮信鳥居と比べたら、かなり太くなっています。石工が違う地方のものが作ったのではないでしょうか。
今福は松浦家の発祥の地と言われているので、近くには最初の城、梶谷城もあり堤防建設に当たっては人柱の話も語り継がれています。
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