4.北松浦郡(2)若宮神社(江迎町田の元)
額 若宮神社
笠木 1本
貫 1本
柱 1本
写真を見て頭でっかち(笠木が大きい)の感は否めません。そして、笠木、貫、柱ともに1本の石材で出来ています。最初に見た時、肥前鳥居とは思ったけど何か違和感がありました。柱には大正3年建立と彫られています。これでは鎮信鳥居と呼べないのではなかろうかと思ったりしましたが、すぐ横に古い鳥居の残骸が置かれています。
そして、元禄年間の表示があります。確かに古いものは鎮信鳥居の姿かたちに同じものです。大正になって作られた時、頭でっかちになったのでしょう。昔のものを参考にして復元しようとしたのですからこれも鎮信鳥居の範ちゅうに入れる事にします。
この土地は、江戸時代には志佐筋の福井村でした。戦国時代には志佐氏の領分で、福井の直谷城主が取り仕切っていた所でした。明治になって田平筋の吉田村と合併して吉井村となりその後町となり、現在は佐世保市に併合されています。
戦後はここに住友潜竜炭坑が開設され大勢の人が全国から集まり大変な賑いを見せていました。小学校6年の時、すぐ近くに住んでいたので、はっきりと脳裡に残っています。朝市の賑い、真昼間からビンゴ屋の喧騒、映画館はいつも満員の盛況でした。そんなときに、この若宮神社の秋のお祭り(おくんちだったのでしょう)の素人演芸会を見たのを思い出します。境内に作られた舞台の上で歌あり芝居ありの熱演が続き、とても素人のものとは思えず、大勢の観客もやんやの喝さいを送っていました。
それも、炭坑の閉鎖と共に火が消えたようにさびしくなり、全国に散らばって行きました。高校時代にはここから来ていたものが20~30人ぐらいはいたはずですが、現在ではだれ一人残っていません。
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