笠木 3本継ぎ
貫 3本継ぎ
柱 2本継ぎ
額 河原神社
建立 明治年間
この神社には鎮信鳥居が2基ありました。最初に見つけたのはこちらの方で、柱には建立年はありませんでしたが、「長崎縣壱岐石田郡半城村・・・」と書かれているので江戸時代のものではありません。壱岐国・江戸期の石造鳥居(著者:野本政宏氏)によれば、表参道のものが江戸期の鳥居で、裏参道にあるのが明治期のものであると書かれています。ここはかなり深い山の中ですが、今では狭いながらも車で行けるように裏参道側に舗装道路が造られています。現在は裏参道だけしか使われていないと思います。この鳥居の所は、山を少し掘り切って参道が付けられています。明治の頃には裏参道の方に道路が造られたということでしょう。
平戸の安満岳の頂上の神社も裏参道がもっぱら使われて、表参道の道は道路そのものが壊れていて誰も通る事はありません。
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