2013年5月27日月曜日

7.3.4深江神社

7.3.4深江神社(芦辺町深江栄触)
        笠木       3本継ぎ
        貫        3本継ぎ
        柱        2本継ぎ
        額        深江神社
        建立       万治2年(1659年)
  この神社は魏志倭人伝に出てくる一支(いき)国、今から2000年前の弥生時代の遺跡「原の辻遺跡」の近くにあります。
  稲が青々と広がる穀倉地帯で芦辺町から石田町にまたがるところで、この辺りの田んぼの広さは、長崎県では1,2を争う広さだそうです。写真の小高い丘には弥生時代の住居群が復元されています。この辺では2000年以上も前から米作りが行われていたということですから、当時は日本で一番先進的な地域だったのでしょう。
  この神社の鳥居も壱岐名勝図誌・深江村に描かれています。弥生時代から田んぼが開かれて、江戸時代にもそして現在にも引き継がれています。
 
 

 
  

2013年5月20日月曜日

7.3.3箱崎八幡神社

7.3.3箱崎八幡神社(芦辺町箱崎釘ノ尾触)
        笠木       3本継ぎ
        貫        3本継ぎ
        柱        3本継ぎ
        額        八幡宮
        建立       寛文10年(1670年)
  壱岐に来て初めて、笠木・貫・柱の石材が全て3本継ぎの鳥居にめぐり合いました。三百数十年経た建設当時のままの石組できっちりと組み合わさっています。当時壱岐では長尺物の石材が産出していたために柱には2本継ぎが多いと思っていましたが、ここぐらい背丈の高い鳥居となるとさすがに3本継ぎにしています。威風堂々とした鳥居です。

2013年5月13日月曜日

7・3.2兵主(ひょうず)神社

7・3.2兵主神社(芦辺町深江本村触)
        笠木             3本継ぎ
        貫         3本継ぎ
        柱         2本継ぎ
        額         兵主神社
        建立        延宝5年(1677年)
  この神社の鳥居で目立っているのは、〆縄が異常に長く垂れ下っている事です。長いしめ縄そのものはそれほど太くなくむしろ細いと感じますが、それから下がっている「サガリ」が大きくて編み込みの縄で下がっています。他では3個もしくは5個のサガリであるのに、ここのは4個と偶数になっています。〆縄に触らなければ鳥居をくぐれません。触る事でご利益があるのでしょうか。
  石燈篭も一般的には鳥居の手前にあるのにここのは鳥居のすぐ後ろに1対鎮座しています。ここからまっすぐに参道が伸びて奥まったところに本殿が見えます。
  辺りはきちんと整備され、鳥居(國主源朝臣鎮信の文字も読めます)、燈篭、石垣、階段、参道と古いけど、落ち着いた石の文化の美を醸し出しています。昔からずっと、今も大切にされている神社だと感じました。


2013年5月6日月曜日

7.3.1国片主(くにかたぬし)神社

        
7.3.1国片主神社(芦辺町国分東触)


       笠木     3本継ぎ
       貫       3本継ぎ
       柱       2本継ぎ
       額       國片主神社
       建立     元禄14年(1701年)

  壱岐島のほぼ中央にある神社で、江戸時代の壱岐名勝図誌に、お祭りの様子が描かれています。武士や役人、その他、庶民など大勢の人で賑っている様子がうかがえます。幟旗もたくさん立ち並び、藁ぶき屋根など当時の様子が分かります。大きな石燈篭も2基描かれていて、もちろん鳥居は鎮信鳥居の型式のものです。当時の参拝人は多かったようですが、現在はどうでしょうか。 

 
 無事に通り抜ければ、願が叶うという小さな鳥居ここにもありました。右の1の鳥居は入学試験・就職試験、中央の2の鳥居は健康や安産、左の3の鳥居は商売繁盛や五穀豊穣というのですからかなり欲張りみたいですね。  
 
 左は「撫で小僧」というそうで、たとえば、耳が悪い人は小僧の耳を撫でて、自分の耳を撫でる、これを繰り返せば良くなるとのことですが。頭を撫でれば頭が良くなれば良いですね。またまた牛も出てきました。先の口蹄疫騒動は壱岐では聞かなかったようなので案外御利益があったのかもしれませんね。