2013年9月30日月曜日

8.その他の肥前(型)鳥居(3)

室園神社(唐津市厳木町)
 現存する肥前鳥居の最古のものはこれだと言われています。天正18年(1590年)に建立されたもので、実物はかなり小ぶりで、笠木と貫は3本継ぎですが柱は2本継ぎで額には文字がありません。柱の下段は異常に太いもので、佐賀県にある肥前鳥居の原型と思われます。同じ唐津市の加部島の田島神社の源頼光寄進の鳥居は天元3年(980年)と言われていますが、現存するものは江戸時代になってから再建されたものですからもうありません。さすがにこの鳥居は古色蒼然として風格があります。
 
 
与賀神社(佐賀市与賀町)
 この鳥居も国指定の重要文化財になっています。笠木、貫、柱が3本継ぎのどっしりと安定感がある鳥居です。慶長8年(1603年)に建立され、笠木は薄手のもので木鼻の反りもわずかで船の舳先を思わせます。ここには同じ型の鳥居が3基直線上にありますが、最近は付近の民家が建てこんできて探さなければならないようになっています。佐賀県は石の鳥居を文化財と位置付け前出の室園神社の鳥居は県の文化財に指定しています。
 

2013年9月23日月曜日

8.その他の肥前(型)鳥居(2)

亀山八幡神社(佐世保市八幡町)
 佐世保市役所の近くにある神社で、明治になり佐世保に海軍鎮守府が置かれ、海軍と共に大きくなった神社です。境内には海軍や佐世保海軍工廠に関する大きな記念碑が目に付きます。この鳥居も大きく、県内の神社の鳥居としては別格に大きなものです。もっとも石造りではなく、コンクリート製です。同時に大分県日田産の石造り玉垣と石燈篭1対も奉納されています。これらは昭和43年ということですからバブル経済の絶頂期に商店街の商店主らによって建設されています。今ではこんなことを言い出す人はいないのではないでしょうか。説明にはこの鳥居は、福岡市の
筥崎宮の鳥居を模して造ったそうです。
 
 
 筥崎宮(福岡市東区箱崎)
 この神社は福岡市の中心部にありながら、広々と閑静なたたずまいを見せています。この鳥居は慶長14年(1609年)当時の藩主、黒田長政によって寄進された肥前型の最も大きなものです。400年以上もなるのに柱に刻まれた文字ははっきりと読めます。笠木、貫、柱共に3本継ぎで造られています。国指定の重要文化財になっています。奥の本殿から北の海岸にまっすぐに参道が伸びていますが、海岸は埋め立てられ大きな道路や建物も出来ています。
 この鳥居の石材は松浦市鷹島の阿翁石が使われていると鷹島の石工には語り継がれています。

 
 


2013年9月16日月曜日

8.その他の肥前(型)鳥居(1)

松原八幡神社(大村市松原町)
 旧長崎街道・松原宿の中心地にあります。この神社はキリスト教が伝来し、大村の領主大村純忠は最初のキリシタン大名になりましたが、その頃この神社は鳥居も含めてキリシタンに打ち壊されています。その後再建されたそうですが、建立年が分かりませんでしたが、宮司さんの話では、最近拓本を採ったら「寛文」と読めたそうです。したがって1661ー1673年の間に建立されたことになります。
 
 
愛宕山(諫早市宇都町)
 ここは現在、神社とは呼ばれていないみたいです。この一帯は「城山公園」と呼ばれ、諫早市が管理しています。昼なお暗いうっそうと樹木が生い茂った所に鳥居はあります。寛永三馬術で有名な東京の愛宕山と同じ名前の所です。江戸では間垣平九郎が石の階段を馬に乗って駆け昇りますが、ここの272段を見たら思い止まったことでしょう。
 この鳥居と山頂の石の三重塔(1731年)、石の宝殿(1802年)は諫早市の文化財として指定(昭和56年)されています。教育委員会の文化財担当の人の話では、いずれも倒されていたものを昭和ですから近頃立て直したものだそうです。終戦時に倒されたのかも知れんね。
 この鳥居は笠木、貫、柱共に3本継ぎで、額は「愛宕山」とあり中国の高僧の筆だそうです。鳥居の建立は諫早の領主諫早茂真(1652-1672年在位)公が寄進したそうですが正確な日時は分からないそうです。
 諫早には諫早神社にも肥前鳥居が以前あったそうですが、諫早大水害(昭和32年)の時流されてしまったそうです。長崎県南部ではこの2基だけが現存する肥前鳥居ということになります。

 


2013年9月9日月曜日

7.4.6熊野神社

7.4.6熊野神社(勝本町立石南触)
        笠木        3本継ぎ
        貫         3本継ぎ
        柱         2本継ぎ
        額         熊野神社
        建立        元禄2年(1689年)
  ここも神社を探すのに苦労しました。狭い道路ばかりで枝道も多く、目印になるものがなく、地図を見ながらうろうろしていましたが、通りがかりの地元の人に聞いたら、草を満載した軽トラックで先導してくれました。「立石地区老人憩いの家」のすぐ奥にありました。ここは裏参道らしく鳥居を探してかなり歩き見つけましたが、こちらが表参道と見受けました。しかし近ごろは駐車場のある憩いの家の方に車で参拝する人が多いのではないでしょうか。
  鳥居の辺りは写真でもわかるように、昼でも薄暗くて、大きな木立に囲まれた参道が続いていました。そのせいでしょうか、貫の部分も3本継ぎで、元禄の建立から一度も倒れることなく3百数十年健在だったのでしょう。
 
 以上で旧平戸藩内の鎮信鳥居の紹介を終わりますが、肥前型鳥居についても、少し述べることにします。


2013年9月2日月曜日

7.4.5若宮神社

7.4.5若宮神社(勝本町北触字宮司)
        笠木        3本継ぎ
        貫         1本もの
        柱         2本継ぎ
        額         若宮大明神
        建立        元禄8年(1695年)
  この鳥居の貫も1本の石材で造られています。後代に修復されたものと思われます。壱岐商業高校の近くにあり道路に面した所に立っています。
  壱岐名勝図誌新城村に描かれています。当時は回りには何もなく田畑があり、山際に道路に面して石垣の上にありますから、道路は車が通るようになり少しばかり広められたようですが、石垣も昔のままで現在とあまり変わらないようです。