2013年2月25日月曜日

7.2.6天道神社

7.2.6天道神社(郷ノ浦町小牧西触)
        笠木       3本継ぎ
        貫        3本継ぎ
        柱        2本継ぎ
        額        天道宮
        建立                 延宝4年(1676年)
  この鳥居は地図を頼りに近くまで行ったら、遠くからも、すぐに見えてきました。立派な石燈篭も1対健在です。鳥居の足元近くに、大きな丸い石がこれまた1対あります。神社でよく見かける力石みたいですが、普通は、力石は祠のそばで見かけるものですが、これは何を意味するのでしょうか。
  石燈篭や石垣は大丈夫ですが、鳥居は早く手を入れないと今にも崩れそうな感じがします。
 
 


2013年2月18日月曜日

7.2.5天満宮(長峰)

7.2.5天満神社(郷ノ浦町長峰本村触)
        笠木      3本継ぎ
        貫       3本継ぎ
        柱       2本継ぎ
        額       天満宮
        建立      元禄17年(1704年)
  この神社を探すのには大変苦労しました。壱岐に渡る前に地図ですべての神社を確認しましたが、ここだけは地図に示されてなく、長崎県神社庁の名簿を調べて住所は分かりましたが地図上では出てこないので、壱岐市役所の近くの支所に電話したら「分かりにくいところにあります」と前置きされて親切に教えてくださいました。近くに行ってからが苦労しました。何回も行きつ戻りつを繰り返し、ついに、そのあたりに1軒しかないお宅のチャイムを鳴らしました。真夏の昼過ぎ、しばらくして出てこられた方は親切によく分かるように教えてくれました。
  地図にも載っていなくて、こんなに分かりにくいところの神社はさびれているだろうとの予想に反して、古びてはいても大きくて立派な石燈篭や石垣もきちんと掃除もされていて、説明板には「東風吹かば・・・・」で有名な道真公の和歌もあり親しみを感じました。
  天満宮とか天満神社といわれる神社は全国いたるところにあると思いますが、九州は特に多いのかもしれん。学問の神様ですから、受験競争が激しくなってきて、繁盛しているところもあるようです。
  この近くで迷いながら探していた時、「軍越(くさごえ)神社」というのが地図上であり、気になっていたので行ってみたところ祠も鳥居もなく、敷地跡は夏草が生い茂っているだけでした。戦の神様は戦後大切に扱われなかったのでしょう、神社庁の名簿からも外されていました。地図会社だけは昔のものを大切に保存しているみたいです。
 



2013年2月11日月曜日

7.2.4天満宮(武生水)

7.2.4天満宮(郷ノ浦町本村触)
           笠木    2本継ぎ
           貫     1本
           柱     2本継ぎ
           額     天満神社
           建立    弘化3年(1846年)
  江戸時代は武生水(むしょうず)村といわれていて、郷ノ浦町の中心地から少し外れたところに、この神社はあります。港町の狭いところに新しい道路が建設され、立体道路や大きな橋やトンネルも掘られています。地図を頼りに行く人は戸惑いそうな所にあります。
  この鳥居は壱岐島内の鎮信鳥居では1つだけ小さいものです。笠木と島木が別々にあるようにも見えますが、小さいので何らかの細工に工夫を凝らそうとしたためにこんな形になったのではないでしょうか。
  江戸末期、地域の人たちが神社の祠や鳥居を建てようとしたときに、十分な資金がなくこのように小型の鳥居を建てることになったのではではないでしょうか。
 


2013年2月4日月曜日

7.2.3八坂神社

7.2.3八坂神社(郷ノ浦町郷ノ浦)
        笠木      3本継ぎ
        貫       3本継ぎ
        柱       2本継ぎ
        額       不明(隠れていて読めなかった)
        建立      宝永3年(1706年)
  八坂神社を訪れたのは、7月25日でした。この日はお祭りの当日でした。午前中だったので、氏子が大勢集まって準備の最中でした。鳥居にはご覧のように飾り着けがされて、正面からは鳥居の姿は見られませんでした。
  裏側から鳥居を見たら、鎮信鳥居である事がよく分かります。ここは郷ノ浦の繁華街の真ん中にあり、港からすぐの所で、壱岐市の中心地です。この日は、近くの賽(さい)神社でもお祭りが行われていました。
  この神社は入り口に木製の大きな男根があり、子孫繁栄を願う神社だそうです。壱岐の神社の紹介では必ず触れられています。由緒の説明板がありましたので、紹介します。






2013年1月28日月曜日

7.2.2比売(ひめ)神社

7.2.2比売(ひめ)神社(郷ノ浦町里触)
        笠木       3本継ぎ
        貫        3本継ぎ
        柱        1本物
        額        比賣神社
        建立       宝永3年(1706年)
 慣れない土地で、地図は持っていたけれど目印になるものもなく、探すのにかなり苦労しました。聞いた人は、道端に鳥居があるのですぐ分かるとのことでしたが、道端にあるのは、朱塗りのお稲荷さんの鳥居ですから、ここではないと思い込み、その辺りを何度も往復して探してもないので、仕方なく車を止めて、赤い鳥居のそばの道を下って行ったらありました!ありました。何のことはない、同じ境内に2つの神社があったのです。
 富士山の宝永の噴火が1707年(宝永4年)ですから、その1年前に建てられた立派な鎮信鳥居です。柱の高さがやや低いようには感じましたが、この時代に1本の石材で柱を建てたというのはあまり見受けません。これを造った石工さんはいい材料があったと喜んでいたのではないでしょうか。その分細工には骨が折れたのではないでしょうか
 この鳥居の周りの石、鳥居・石燈篭・階段・石垣が同じ材質らしい石材がふんだんに使われ、300年以上経ているのに整然と組まれているのには驚かされました。当時、近くに石切り場があり、腕の良い石工さんがいたからでしょう。
 
 
  
        

2013年1月21日月曜日

7.2.1弥佐支刀神社

7.2.11弥佐支刀神社(みさきと:壱岐市郷ノ浦町大原触)
        笠木       3本継ぎ
        貫        3本継ぎ
        柱        1本
        額        弥佐支刀神社
        建立       延宝6年(1678年)
 古色蒼然とした鳥居です。神社の説明文を読めば平戸松浦藩となるずっと以前からこの神社はありました。
 江戸時代末期に編集された壱岐名勝図誌・志原村には当時の弥佐支刀神社のたたずまいが描かれています。回りは農地だけしかなかったようです。
 
 鳥居と神殿の間に架かる橋はアーチの石で造られています。古めかしい石燈篭も見えます。
 昔ここは、石田郡志原村といっていました。天明8年(1788年)藩主が清(静山)公の記録では石田郡には14ケ村ありました。その村の名前を付けた志原(しわら)小学校が神社のすぐ横にあります。
  現在では小学校や保育園もそばに建てられ、民家もかなり建て込んでいます。
 
 
 
 


 

2013年1月14日月曜日

7.1.2志自岐宮

7.1.2志自岐宮(しじきぐう:壱岐市石田町南触)
           笠木       3本継ぎ
        貫        1本
        柱        2本継ぎ
        額        志自岐宮
        建立       元禄8年(1695年)
 この鳥居の前は狭い道路を隔てて、海岸の崖になっているので陸上からは正面の写真を撮る事はできません。海岸のすぐそばなので、強風にさらされて、痛みもひどいようです。貫も見た目には他の石材と同じように古びていますが、元禄時代に細くて長い材料を使ったものはありませんから、かなり昔に修復したものと思われます。柱には文字らしいものはありますが、全く判読できません。
 この神社の入り口には、風格がある立派な石燈篭が1組あります。海岸すぐというのに痛んでいないのは、かなり新しいものかもしれません。
 
 石田町で最も有名な人は、松永安左ヱ門と思いますが、若い人にはなじみがないかもしれません。明治から昭和にかけて「電力王」とか「電力の鬼」と言われた人です。その生家は松永記念館として一般に有料で公開されています。
 氏は福岡市電(後の西鉄電車)の創設者の一人で、その電車が廃止された時、壱岐に持ってきて記念館の中に展示されています。