2013年8月26日月曜日

7.4.4水(みず)神社

7.4.4水神社(勝本町布気触)
                   笠木        3本継ぎ
        貫         1本もの
        柱         2本継ぎ
        額         水神社
        建立        元禄2年(1689年)
  水神社という名を聞いた時、回りに何か水に関するものがあるのかと思ったけど、川や池も見当たらず、海岸からも入り込んだ所にありました。
  貫は1本の石材で、笠木や柱に比べると新しく後代に補修されたものと思われます。表面も機械で加工されたように見え、コケ類もわずかしか付いていません。
  鳥居をくぐったところに相撲の土俵があります。最近ではめっきり減った子供相撲がお祭りの時に行われているようで、すぐに使えそうな土俵でした。
  南北に走る国道382号線と東西に走る県道59号線とが交差する十字路から近いところです。 その道路ばたに大きな石があり、地元の人は、ガメ石と呼んでいるそうですが、亀石がなまったらしいとのことです。   
 
        

2013年8月19日月曜日

7.4.3聖母(しょうも)神社

7.4.3聖母神社(勝本町勝本浦)
        笠木        3本継ぎ
        貫         3本継ぎ
        柱         2本継ぎ
        額         聖母大明神
        建立        延宝4年(1676年)
  鳥居の奥に見える石垣は海岸にあり、風や波から神社を守るように見えます。漁港のそばにあり、漁村独特の狭い道路を挟んで民家が密集している中にあります。よく整備されたたたずまいに海で働く漁師たちの信仰心みたいなものも感じました。


  普通「聖母」と書けば、「せいぼ」と読みますが、この地にはキリスト教とのかかわりは聞きません。「しょうも」と読ませて神社の名となっているのにはどんないわれがあるのか知りたくなりました。
   壱岐名勝図誌・可須村勝本浦に描かれているのと現在もあまり変わらない雰囲気があります。農村と違って、港周辺に民家が軒を連ね漁船が係留されている様は変わらないのではないでしょうか。漁船は櫓漕ぎや帆からエンジン付きになり、屋根は瓦やコンクリートに代わっていても。この図にある石垣はほとんどその当時のものではないでしょうか。

 
 

2013年8月12日月曜日

7.4.2大神宮

7.4.2大神宮(勝本町仲触)
        笠木        3本継ぎ
        貫         1本もの
        柱         1本もの
        額         大神宮
        建立        享保15年(1730年)
  しゃれた名前の霞翆(かすい)小学校の裏手、山の中にこの神社はあり、台風の影響はさほど受けないところに立地していると思えたけど、貫と柱が1本ものということは、倒れた時に破損して修復されたのだろうと思っていました。後から写真の柱を拡大して見たら享保の文字があるので当時のままであることが分かりました。ということは大きくて長い石材があり、細い貫を造る技術があったのでしょう。
  鳥居の脇には立派な石燈篭が1対でんと座っています。石垣、階段の石組もきっちりしていて、石工の腕の良さがしのばれます。
  額の文字が少し気になりました。拡大して見ても「神」という文字が「補」みたいに見えます。江戸時代にこのような文字を使っていたのでしょうか、間違った文字を彫り込んだということはないのでしょうか。
  



2013年8月5日月曜日

7.4.1②本宮八幡神社

7.4.1②本宮八幡神社(大正期)
        笠木        1本もの
        貫         3本継ぎ
        柱         2本継ぎ
        額         八幡神社
        建立        大正2年(1913年)
   二つ目の鳥居は、裏参道に大正になってから建てられた鎮信鳥居です。この頃になると笠木は1本の材料で造られています。貫は1本ものに見えますが、柱の中で継がれているかも知れません。形は江戸期のものと全く同じになっています。