2013年10月7日月曜日

鎮信鳥居まとめ

鎮信鳥居の位置付け
明神鳥居
 現在見受けられる石造り鳥居はほとんどこの形です。笠木と島木が2段にはっきり分かれています。




佐賀の肥前鳥居
 笠木と島木が一体となり薄い石材でつくられ、両端は丸く舟底みたいです。柱は太く特に下段のものは極端に太く、全体に下は重く、上は軽くされているように見えます。


鎮信鳥居
 笠木と島木が一体となり両端はナギナタのように反りかえっています。佐賀のものに比べると小型ですが、全体にバランスが取れた姿をしています。



 神社の鳥居として全国では何千もの数のものが明神型でしょう。佐賀の肥前鳥居は平成になってから建設されたものを含めおよそ100基あると言われています。今回取り上げた鎮信鳥居も肥前鳥居の中に含められていました。平戸松浦藩内を入念に調べたら59基見つけることが出来ました。そこで肥前鳥居の中でも旧平戸藩内のこの型の鳥居を一部では鎮信鳥居と言われていますので私も「鎮信鳥居」と呼ぶことにしました。
 この鳥居は旧平戸藩内にだけしかない特殊な形のもので、残存するものはこの59基だけだと思われます。


鎮信鳥居の形の違い
 59基の鎮信鳥居を見た中では形の違いも少しありました。最初のものは平戸の町中の「七郎宮」に建てられ明治に亀岡神社に移されたもので元和五年(1619年)平戸藩3代藩主隆信公が寄進し、的山大島の本山神社及び天降神社のものは寛永13年(1636年)建立で鎮信公が4代藩主となる前年に父親と2人で寄進したものです。今福神社の鳥居は寛文10年(1670年)と少し遅れますが、松浦宗家20代の松浦信貞公(鎮信公の従弟に当たる)が自分の領地に寄進しています。この4基はよく似た形をしていて、いずれも佐賀藩のものに近いものです。初期のものは佐賀の肥前鳥居をモデルとして建てられたものと思われます。
 
 江戸時代の後期になって、10代藩主観中熈公が白山比咩神社(安満岳)と偕楽園内のお稲荷さんに建立した鳥居は笠木の両端が尖らずに丸みを帯びた独特の形をしています。これらの鳥居には書家としての熈公の扁額が独特の文字で書かれていますが読むことはできません。
 以上あげた6基の鳥居が特殊なもので他のものは中型の美しい曲線を描いた全体の均整がとれたものと言えます。

鎮信鳥居建立の年代
 ほとんどのものは江戸時代のものですが、明治に建てられたものが壱岐に1基あり、大正になってのものが、壱岐に2基と江迎に1基あるだけです。
 江戸時代後期になると明神鳥居が全国的に流行しめったに鎮信鳥居が造られることはなくなったようです。

壱岐の鎮信鳥居
 今回の調査で全59基の鎮信鳥居のうち36基と6割を超す数多くのものがありました。その理由として次のことがあげられると思います。
(1)平安時代中期の式内社に24の壱岐の神社が挙げられていて、京都付近には数ではかなわないけど、狭い壱岐島内ということでは密度は日本一ではないでしょうか。古くから神社信仰が盛んだったようです。
(2)壱岐を平戸藩が領有するようになったのは、豊臣秀吉の時ですからそんなに昔からではありません。平戸藩6万石の内その3分の1近くを壱岐で米がとれています。大切にしたと思うます。
(3)元壱岐出身で平戸神楽を創案した神道国学の大権威者(史都平戸より)橘三喜は鎮信公の意向で神社の調査を行っているが、特に壱岐は入念のようです。この頃建立された鳥居が多くあります。


鎮信鳥居の今後
 石の鳥居ですから、すでに壊れてなくなったものもあるでしょう。しかし、少なくとも今後数百年は残って行くことでしょう。福岡や佐賀の肥前鳥居は国の重要文化財に指定されたものもあり、県の文化財に指定されたものも多くあります。
 残念ながら長崎県内では、村や市が文化財に指定したものがわずかにありますが、国や県が指定した鳥居は皆無です。そこでこれらの鎮信鳥居を先ず長崎県の文化財として指定し、末永く保存していきたいものだと考えています。

このブログは今回を持ちまして終了いたします。最後まで読んでいただきありがとうございました。
尚、来週からは「六地蔵塔探し回り記http://inouejun1saza.blogspot.jp/」を連載していきます。よろしかったら覗きにきてください。

おまけ
  鎮信公の自筆の書が手に入りましたので披露します
この書は鎮信公直筆のものと松浦資料博物館の学芸員が確認したものです
 
 


旧平戸藩内鎮信鳥居一覧
1 平戸市 亀岡神社 かめおか 岩の上町 元和5年 1621年
2   天満宮   木引田町 元禄5年 1692年
3   稲荷神社 いなり 川内町 不明  
4   皇大神社 こうたい 中野大久保町 不明  
5   高薗神社 こうそね 木引町 安永5年 1776年
6   金立神社 かなだて 前津吉町 寛文元年 1661年
7   比咩神社 ひめ 大野町 不明  
8   梅ケ谷津偕楽園 うめがやづかいらくえん 明の川内町 不明  
9   白山比咩神社 はくさんひめ 主師町 天保11年 1840年
10 田平 総社神社 そうじゃ 平戸市田平町山内免 延宝3年 1675年
11   宗像神社 むなかた 平戸市田平町里免 元禄13年 1700年
12   鎮守大明神   平戸市田平町荻田免 寛延2年 1749年
13 松浦市 熊野神社   星鹿町北久保免 寛文10年 1670年
14   大岳神社 おおたけ 御厨町山根免 寛文10年 1670年
15   今福神社 いまぶく 今福町東免 寛文10年 1670年
16 鹿町 藤護神社 とうご 佐世保市鹿町町深江 不明  
17 江迎 若宮神社 わかみや 佐世保市江迎町田の元 大正3年 1914年
18 佐々町 三柱神社 みはしら 里免 貞享5年 1688年
19 的山大島 天降神社 てんこう 平戸市大島村神浦 寛永13年 1636年
20   本山神社 もとやま 平戸市大島村 寛永13年 1636年
21 小値賀町 神島神社 こうじま 前方 寛文6年 1666年
22   沖の神島神社 おきのこうじま 野崎島 延宝8年 1680年
23   六社神社 ろくしゃ 笛吹 元禄3年 1690年
24 壱岐市 天満宮   石田町西触 寛永元年 1624年
25   志自岐宮 しじき 石田町南触 元禄8年 1695年
26   弥佐支刀神社 みさきと 郷ノ浦町大原触 延宝6年 1678年
27   比売神社 ひめ 郷ノ浦町里触 宝永3年 1706年
28   八坂神社   郷ノ浦町郷ノ浦 宝永3年 1706年
29   天満宮   郷ノ浦町本村触 弘化3年 1846年
30   天満宮   郷ノ浦町長峰本村触 元禄17年 1704年
31   天道神社 てんどう 郷ノ浦町小牧西触 延宝4年 1676年
32   天手長比売神社 てながひめ 郷ノ浦町田中触 延宝4年 1676年
33   津神社 郷ノ浦町牛方触 不明  
34   西八幡神社   郷ノ浦町初山西触 貞享4年 1687年
35   山浦神社   郷ノ浦町庄触 元禄4年 1691年
36   国津神社 くにつ 郷ノ浦町渡良浦 延宝4年 1676年
37   金崎神社 かなさき 郷ノ浦町坪触 貞享4年 1687年
38   河原神社 かわはら 郷ノ浦町半城本村触 元禄10年 1697年
39     明治期  
40   爾自神社 にじ 郷ノ浦町有安触 元禄8年 1695年
41   国片主神社 くにかたぬし 芦辺町国分東触 元禄14年 1701年
42   兵主神社 ひょうず 芦辺町深江本村触 延宝5年 1677年
43   箱崎八幡神社   芦辺町箱崎釘ノ尾触 寛文10年 1670年
44   深江神社   芦辺町深江栄触 万治2年 1659年
45   住吉神社   芦辺町芦辺浦 寛文12年 1672年
46   住吉神社   芦辺町東触 貞享4年 1687年
47   高御祖神社 たかみおや 芦辺町諸吉仲触 寛文13年 1673年
48   月読神社 つきよみ 芦辺町国分東触 大正4年 1915年
49   興神社 こう 芦辺町湯岳興触 寛文7年 1667年
50   寄八幡神社 よりはちまん 芦辺町諸吉本村触 元禄10年 1697年
51   塩釜神社 しおがま 芦辺町箱崎諸津触 天保11年 1840年
52   覩上神社 とがみ 芦辺町湯岳本村触  寛永元年 1624年
53   本宮八幡神社 もとみやはちまん 勝本町本宮西触 元禄2年 1689年
54     大正2年 1913年
55   大神宮 だいじんぐう 勝本町仲触 享保15年 1730年
56   聖母神社 しょうも 勝本町勝本浦 延宝4年 1676年
57   水神社 みず 勝本町布気触 元禄2年 1689年
58   若宮神社   勝本町北触字宮司 元禄8年 1695年
59   熊野神社   勝本町立石南触 元禄2年 1689年

これ以外にこの手の鳥居をご存知でしたらお知らせください
 

2013年9月30日月曜日

8.その他の肥前(型)鳥居(3)

室園神社(唐津市厳木町)
 現存する肥前鳥居の最古のものはこれだと言われています。天正18年(1590年)に建立されたもので、実物はかなり小ぶりで、笠木と貫は3本継ぎですが柱は2本継ぎで額には文字がありません。柱の下段は異常に太いもので、佐賀県にある肥前鳥居の原型と思われます。同じ唐津市の加部島の田島神社の源頼光寄進の鳥居は天元3年(980年)と言われていますが、現存するものは江戸時代になってから再建されたものですからもうありません。さすがにこの鳥居は古色蒼然として風格があります。
 
 
与賀神社(佐賀市与賀町)
 この鳥居も国指定の重要文化財になっています。笠木、貫、柱が3本継ぎのどっしりと安定感がある鳥居です。慶長8年(1603年)に建立され、笠木は薄手のもので木鼻の反りもわずかで船の舳先を思わせます。ここには同じ型の鳥居が3基直線上にありますが、最近は付近の民家が建てこんできて探さなければならないようになっています。佐賀県は石の鳥居を文化財と位置付け前出の室園神社の鳥居は県の文化財に指定しています。
 

2013年9月23日月曜日

8.その他の肥前(型)鳥居(2)

亀山八幡神社(佐世保市八幡町)
 佐世保市役所の近くにある神社で、明治になり佐世保に海軍鎮守府が置かれ、海軍と共に大きくなった神社です。境内には海軍や佐世保海軍工廠に関する大きな記念碑が目に付きます。この鳥居も大きく、県内の神社の鳥居としては別格に大きなものです。もっとも石造りではなく、コンクリート製です。同時に大分県日田産の石造り玉垣と石燈篭1対も奉納されています。これらは昭和43年ということですからバブル経済の絶頂期に商店街の商店主らによって建設されています。今ではこんなことを言い出す人はいないのではないでしょうか。説明にはこの鳥居は、福岡市の
筥崎宮の鳥居を模して造ったそうです。
 
 
 筥崎宮(福岡市東区箱崎)
 この神社は福岡市の中心部にありながら、広々と閑静なたたずまいを見せています。この鳥居は慶長14年(1609年)当時の藩主、黒田長政によって寄進された肥前型の最も大きなものです。400年以上もなるのに柱に刻まれた文字ははっきりと読めます。笠木、貫、柱共に3本継ぎで造られています。国指定の重要文化財になっています。奥の本殿から北の海岸にまっすぐに参道が伸びていますが、海岸は埋め立てられ大きな道路や建物も出来ています。
 この鳥居の石材は松浦市鷹島の阿翁石が使われていると鷹島の石工には語り継がれています。

 
 


2013年9月16日月曜日

8.その他の肥前(型)鳥居(1)

松原八幡神社(大村市松原町)
 旧長崎街道・松原宿の中心地にあります。この神社はキリスト教が伝来し、大村の領主大村純忠は最初のキリシタン大名になりましたが、その頃この神社は鳥居も含めてキリシタンに打ち壊されています。その後再建されたそうですが、建立年が分かりませんでしたが、宮司さんの話では、最近拓本を採ったら「寛文」と読めたそうです。したがって1661ー1673年の間に建立されたことになります。
 
 
愛宕山(諫早市宇都町)
 ここは現在、神社とは呼ばれていないみたいです。この一帯は「城山公園」と呼ばれ、諫早市が管理しています。昼なお暗いうっそうと樹木が生い茂った所に鳥居はあります。寛永三馬術で有名な東京の愛宕山と同じ名前の所です。江戸では間垣平九郎が石の階段を馬に乗って駆け昇りますが、ここの272段を見たら思い止まったことでしょう。
 この鳥居と山頂の石の三重塔(1731年)、石の宝殿(1802年)は諫早市の文化財として指定(昭和56年)されています。教育委員会の文化財担当の人の話では、いずれも倒されていたものを昭和ですから近頃立て直したものだそうです。終戦時に倒されたのかも知れんね。
 この鳥居は笠木、貫、柱共に3本継ぎで、額は「愛宕山」とあり中国の高僧の筆だそうです。鳥居の建立は諫早の領主諫早茂真(1652-1672年在位)公が寄進したそうですが正確な日時は分からないそうです。
 諫早には諫早神社にも肥前鳥居が以前あったそうですが、諫早大水害(昭和32年)の時流されてしまったそうです。長崎県南部ではこの2基だけが現存する肥前鳥居ということになります。