2013年9月16日月曜日

8.その他の肥前(型)鳥居(1)

松原八幡神社(大村市松原町)
 旧長崎街道・松原宿の中心地にあります。この神社はキリスト教が伝来し、大村の領主大村純忠は最初のキリシタン大名になりましたが、その頃この神社は鳥居も含めてキリシタンに打ち壊されています。その後再建されたそうですが、建立年が分かりませんでしたが、宮司さんの話では、最近拓本を採ったら「寛文」と読めたそうです。したがって1661ー1673年の間に建立されたことになります。
 
 
愛宕山(諫早市宇都町)
 ここは現在、神社とは呼ばれていないみたいです。この一帯は「城山公園」と呼ばれ、諫早市が管理しています。昼なお暗いうっそうと樹木が生い茂った所に鳥居はあります。寛永三馬術で有名な東京の愛宕山と同じ名前の所です。江戸では間垣平九郎が石の階段を馬に乗って駆け昇りますが、ここの272段を見たら思い止まったことでしょう。
 この鳥居と山頂の石の三重塔(1731年)、石の宝殿(1802年)は諫早市の文化財として指定(昭和56年)されています。教育委員会の文化財担当の人の話では、いずれも倒されていたものを昭和ですから近頃立て直したものだそうです。終戦時に倒されたのかも知れんね。
 この鳥居は笠木、貫、柱共に3本継ぎで、額は「愛宕山」とあり中国の高僧の筆だそうです。鳥居の建立は諫早の領主諫早茂真(1652-1672年在位)公が寄進したそうですが正確な日時は分からないそうです。
 諫早には諫早神社にも肥前鳥居が以前あったそうですが、諫早大水害(昭和32年)の時流されてしまったそうです。長崎県南部ではこの2基だけが現存する肥前鳥居ということになります。

 


0 件のコメント:

コメントを投稿