2012年8月6日月曜日

1・2天満宮

1.平戸島(2)天満宮(平戸市木引田町)

 
   額   「天満宮」
   笠木  3本継ぎ
   貫   3本継ぎ
   柱   2本継ぎ(亀腹あり) 
 平戸市の中心街、木引田町(きひきだちょう)の少し高段にあります。何故かここに行くのには、有料駐車場の通路を通っていくのが一般的のようです。横にあまり目立たないけど、狭い階段を上っていくこともできます。
 町人の街の中心街というのは昔も今も変わらないのではないでしょうか。鳥居の建立年は元禄5年(1692年)とはっきり読み取れましたが、寄進者の名前は数人書かれていますが、判読できませんでした。この年代は、鎮信公の次の代、棟(たかし)公の時代です。殿様の名前一人だけが彫られているときは大きく深く彫ってあるので300年経っても、よくわかりますが、何人もの人の名前を羅列して、小さな文字を彫ってある時は、風化が進んで読み取れなくなるのが早いようです。
 このお宮は街の真ん中にあるので、参拝者も多く、石畳の道や石の階段は使い込まれて、丸みを帯びて風格が出ていました。 
 この神社の正式名称は「天満神社」だそうですが、平戸の町の人たちは普通「天満宮」と呼んでいるのでそのように表記しました。住所に関しても、神社庁のものでは鏡川町となっていますが、この場所を教えてくれた人から「木引田」の天満宮と教えてもらったのでそのようにあえてしました。
 その後、調べていたら寛政4年(1792年)平戸六町図の中で「天神町」という町の名前になっていました。また嘉永元年(1848年)の平戸町家の図にも天神町とあります。天神さまを祭っていたので天神町になったのか、天神町にちなんで天神さまを祭ったのかどちらでしょうか。これらの絵図面には各家それぞれの名前も記入されています。寛政の分には職業まで書かれています。寛政4年は30戸、嘉永には26戸、空き家や空き地も目立っています。したがって、明治以降にあまりに小さい町内とのことで合併になったのでしょう。今では天神町の名前は平戸にはありません。
 
 神社名は明治になってから「神社」に統一されて○○宮とか○○大明神とかの名称は正式には使われなくなったようです。



         

0 件のコメント:

コメントを投稿