2012年10月8日月曜日

2・2宗像神社

2.田平町(2)宗像(むなかた)神社(平戸市田平町里免)
    額      「宗像神社」
    笠木・貫  3本継ぎ
    柱      2本継ぎ(亀腹あり)

 この鳥居の文字もよく読めます。しかし、普段は注連縄や竹竿に邪魔されて文字が隠されているので、秋のお祭りの前に行われる注連縄作りの当日写真を撮りに行きました。宮司さんの自宅も隣接しているので鳥居を立て直した時に継ぎ目に銅貨ががあった話も聞けました。右柱には
  「大檀那松浦壱岐守源任國家豊楽 田平村中氏子繁昌五穀成就祈所」  左には
  「于時元禄十三庚辰天十一月初丑日當社詞官友廣云々
と書いてあります。
  松浦壱岐守源任とは鎮信公の第1子、5代藩主棟(たかし)公の幼名だそうです(松浦史料博物館学芸員の話)。元禄13年は1700年、棟公は元禄4年に江戸幕府の寺社奉行を務めています。外様大名としては破格のものです。
  秋祭りに合わせて、鳥居の寄進があったのでしょう。現在も変わらずに11月1日におくんちは行われています。
  鳥居のすぐ左手に「縣社宗像神社」と言う自然石の記念碑があります。この自然石は琵琶の格好をしています。平戸街道のウォーキングで通る田平町の上亀地区にはこの琵琶の形をした石が多いためか琵琶石坂という地名もあります。明治になってから県社になったとき上亀地区から運んで来たそうです。

  やや裏手に「世界大戦記念碑」と言うのがあります。戦死者名はなく、凱旋記念碑と言うべきもので、大正年間のものですから、第1次世界大戦です。この神社には他に戦争にまつわる記念碑はありません。よそでは多くの記念碑の中のひとつとして第1次世界大戦の記念碑はありますが(非常に少ないけど)これだけしかないと言うのは珍しいものです。佐世保港には戦利品のドイツの潜水艦を曳航してきたという話は聞きますが、記念碑は見たことがありません。
  江戸時代この神社には、平戸から殿様が来ていたとのことで、今も神社の田んぼが2反あるそうです。昔はもっとたくさんあったと宮司さんは言っていましたが、第3代藩主隆信公のときに佐川主馬が神社や寺院の持分を十分の一に減らしてしまったことでしょう。この神社も少し前まで鳥居の前の直線道路で流鏑馬が行われていたそうです。

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