2012年10月1日月曜日

2・1総社(そうじゃ)神社

2.田平町(1)総社神社(平戸市田平町山内町)
  額   総社神社
  笠木  3本継ぎ
  貫   3本継ぎ
  柱   3本継ぎ (亀腹あり)

 すべての石材が3本組の完全な形で残り、鎮信公の名前もはっきり分かる代表的な「鎮信鳥居」です。しかし、最初に写真を撮りに行った日は注連縄や竹竿などで柱に文字が刻んであり、文字は読めるのにところどころ隠れた部分が有り全部を通読することができませんでした。秋のお祭りの数日前に注連縄作りと清掃作業をすることを聞いて出かけました。
  秋晴れの気持ちのいい日でした。着いた時は、上の写真のようにみんな取り外されおりすみずみまでよく読めました。右柱は
   大檀那松浦肥前守源鎮信國家豊楽祈所 田平村中五穀繁昌云々
左の柱には
   于時延寶三乙卯年九月十九日 當寺現住云々
さすがに柱の下部は苔などで読みづらくなっています。
  鳥居寄進者の鎮信公の名前も、日付もはっきり分かりました。延宝3年はきのと卯年、1675年(在位期間は1637-1689)です。しかも9月19日というのも、現在は新暦を採用になったとき改めたのでしょう、一月遅れの10月19日に秋祭り(おくんち)が毎年行われているとのことです。
 この日は氏子の皆さんが早朝から作業に精を出されていました。注連縄は4本も作ると言うのですから大変です。口石ではもっと人数も多く2本しか作らないので午前中で終わりますが、各神社ごとに注連縄の作り方はかなり違いますが、総社神社と口石金比羅さんとは非常によく似ています。竹竿に注連縄を固定してそれを鳥居に結びつけるのはまったく同じです。少し違うのはサガリ(房)が5つも下がっています、口石のは少し小さいからでしょうサガリは3つしかありません。夕刻までには完了しました。

 新しい注連縄と青ささが付いた新しい竹が鳥居を凛々しく見せています。この日は宮司さんも見えていて、いろいろお話を聞くこともできました。神社の古い書付も写真に撮りました。
 
 口石では、10日に近い日曜日と今では変更になっていますが、田平の総社神社は昔ながらの19日をしっかり守ってお祭りがされています。鳥居の外の通りは直線道路です、以前はここで流鏑馬が行われていたそうです。その際、秀吉の朝鮮の役から持ち帰った矢を使ったなどの話も残っています。宮司さんの話では、昭和48年に落馬事故があり、49・50年には形ばかりの流鏑馬をやったそうですが、舗装道路になって中止されたそうです。

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